現役看護師が何度も感じた離職願望。決めては人間関係だった・・・

看護師の仕事

看護師の仕事

看護師って実際どんな仕事をしてるんでしょう?
看護師と言っても仕事内容はすべて同じではなく、病棟勤務、外来勤務、検査室、手術室、透析室。
それぞれの部署での技術は全く異なってきます。

私は沖縄県の総合病院に勤務していた40代女性です。これまでに病棟、手術室、検査室、透析室の勤務を経験してきました。
特に総合病院の看護師は将棋のコマ。看護部長の命令で簡単に病棟異動をさせられてしまうことも多くあります。看護学校を卒業して新人として働き、看護について学んでいくことの楽しさを覚え始めた2年目の頃。看護部長に呼び出され、「来月から手術室勤務ね。」の一言。そして続けて付け加えられた言葉が「しばらく妊娠、結婚はしないようにね。」でした。

大きなお世話。そう思いました。看護部長に私の人生プランを口出しされる筋合いはない、とも思いましたね。

すべての仕事を覚えるのに2年もかかる!?

でも、まだ入職して2年足らずの私は反論することもなく、心の準備も手術の勉強も出来ないまま病棟異動になったのです。これまでいた病棟と手術室での勤務内容は比較にならないほど別物でした。最初は手術機械や手術手順と向き合う日々。

それを覚えるために朝早い時間から出勤し、たくさんの手術をこなすために残業をする毎日。簡単な手術から難しい手術まで、すべて行えるようになるまで2年はかかりました。緊張感のある毎日でしたが、すごく私には合っている職場でした。

あの時が最初の離職願望絶頂期でした・・・

しかし、手術室へ異動して5年が過ぎ、後輩も出来て手術室勤務にやりがいを感じ始めた頃、透析室への異動を命じられたのです。

正直看護師としてのやる気もなくなりました。何故、仕事に慣れてうまくこなせるようになり、それに充実感を感じ始めると異動になるのか。
しかも毎回、全く分野の違う部署。思えばあの時が最初の離職願望絶頂期でした。辞めて沖縄を離れ、海外留学でもしようかと思いました・・・。

残業も減り素晴らしい職場に思えた

しかし結局、周囲の先輩や後輩になだめられ、もう少し頑張ってみることにしたのです。

そこからしばらくの間、透析室で勤務し検査室を経て10年ぶりに待望の手術室へ戻ってきました。10年のブランクはかなりのもので、再び一から勉強をしました。

その時私は結婚・出産もしており、プライベートと仕事を両立させるため、必死でした。久しぶりに戻って来た手術室は、3交代勤務でオンコール制廃止、残業も減り素晴らしい職場に思えました。
ただ、以前と違っていたことがもう一つありました。それは、手術室スタッフのプロ意識。

ずっと我慢して仕事を覚え業務をこなす毎日

10年のブランクがある私が質問をしても「わからない」と平気で答える先輩がたくさんいました。そして、私の後から異動になって入って来た後輩も、いつになっても仕事を覚えない。何度も同じ失敗を繰り返す、簡単に仕事を休む。

以前からいた医者もあきれる態度の看護師がたくさんいました。
「昔はこうだった。」と言いたくないので、ずっと我慢して仕事を覚え、業務をこなす毎日。

仕事を頑張って医者に認められれば、嫉妬される日々。『だったらあなたも頑張ってよ!」と口論することもありました。
いつしか私は、患者さんのためにスキルアップをめざすのではなく、ただ淡々と仕事をこなし、帰宅時間を待ちわびる看護師になっていました。

離職願望を決定的にした一つの事件

そんな時、一つの事件が私の離職願望を決定的にしました。準夜勤業務を行っていた時、深夜勤務へ引き継ぐ直前に大きな難しい緊急手術の依頼がありました。
通常なら、手術が始まるまでのしばらくの間手伝って、残業2時間ほどで帰宅できるはずでした。

しかし、その日の深夜勤務の一人が、「私には出来ません」と言いました。配属2年の女性看護師でした。

2年経っていれば、大抵のことは出来て当然のこと。なのにこのようなことを訴えてきたのです。
その女性看護師の言葉を受けて医者からもクレームがあり、私が手術終了まで残業するように命令を受けました。
その日私の夫の勤務が深夜からスタートだったため、夜中幼い子供たちだけ家に残すわけにはいかないから何とか帰してくれないか?と相談しました。
しかし、「寝てるんだろう。」とか「旦那さんに相談してくれ。」と言われ、結局帰ることが出来ず、手術を終えて家に着いたのは朝7時でした。
家に帰ると目にいっぱい涙を溜めて玄関に出迎えてくれた子供たち。
私はその顔を見て、「淋しい思いさせたね。ごめんね。」と抱きしめました。

私は一体何をやりたいんだろう?

それからというもの、子供たちは私が夜勤に向かおうとすると、「時間通りに帰ってこれる?」と聞くようになりました。
「帰ってこれるよ。」と約束することが出来ず、「私は一体何をやりたいんだろう?」と、その職場に強い疑問を感じるようになり、家族との生活を守るために離職を決めました。

結局退職の日まで、「私には出来ません」と訴えた女性看護師からの感謝の言葉はありませんでした。

今は専業主婦としてのんびりと子育てを楽しんでいます。
これから再就職を目指しても、二度と総合病院で勤務することはないと思います。