看護師の職場での人間関係が辛い!悩みに悩んだ結果メニエール、適応障害、心身症になってしまった

看護師の職場

メンタルが弱い事は自覚していましたが・・・

看護師をはじめ5年目に神経難病、筋ジストロフィー、脳外科慢性期の混合病棟に異動になりました。
看護師1年目で神経難病の単科の病棟に所属しました。数年勤務する中で中堅と呼ばれる看護師になり、病棟変成を行う時に異動になりました。
もともとメンタルが弱いことは自覚していましたが、私はそこで適応障害、心身症になってしまいました。

原因はいくつかありますが、大きな問題は私が病棟の色に染まることができなかったこと。もともと3つの病棟が一緒になったので、スタッフの数が多い病棟が色を濃くするのは当然ですよね。その病棟は新人看護師がすぐに辞めてしまうから、新顔はいろいろなターゲットになってしまうようです。
混合病棟になるために、彼らは変わらなかった。協調性や協力など、彼らからは感じることができませんでした。
仕事をするにおいて、看護師は連携が必須になります。協力ができない環境での看護は、大変難しくなります。

病棟内で数十年を過ごしている患者が難敵だった

さらにもう一つの原因として、患者様の看護師への対応でした。患者様の中には疾患の都合上、病棟内で数十年を過ごしている方も何名もいました。その彼らに馴染めなかったと言ってしまえば簡単でしょうか。
詳しくは明記できませんが、たとえるなら小さなコミュニティーに長年閉じこもってしまった集団は、ターゲットを狙うようなものなんでしょう。

彼らをに食うことはできませんが、同じ環境にもう一度と考えると、吐き気がします。
看護師と言っても、私も人間です。
「やってもらってありがとう」、「あんなこと言ってごめんなさい。」という
人間として当然のかかわり方を学んでくれていると、とても働きやすいとは思います。

疾患的に知能面は年齢相応と言われていましたが、私にはそうは見えませんでしたね・・・。

看護師1年目でメニエールになっていた

病棟の再編成、電子カルテ導入、スタッフのぎこちない感じ、協調性のなさ、等々の様々な環境から、私は適応障害を患いました。
看護師1年目でメニエールになっていたこともあり、めまい、吐き気から始まりました。なんとなく始まったのが頭髪の脱毛、吐き目はきっと小さな円形脱毛から始まり、徐々に症状は悪化していき、ウィッグを装着しながら仕事をしていました。
吐き気は徐々に胸やけを伴い、嘔吐に変わっていきます。毎日何回も嘔吐を繰り返し、食事介助中にもトイレに籠ってしまうこともありました。

一番の害悪は、病棟師長なんでしょうか。
主任は人として他者をバカにして見下しているように私には見えたので、もともと一緒に働いていた経験のある師長に相談を始めました。
何度も面談を行いましたが、その数回の家で彼女から出てきたのは、私への苦情でした。

私の頭がおかしいって?

師長は私以外のスタッフもみる必要があるのはわかっています。
「○○さんがあなたが嫌だっていってたわ。」「○○さんはあなたは頭がおかしいって」

つまり、「あなたのほうがおかしいのよ」という意味です。
後はよくある「どこに行っても同じよ。あなたが変わらない限り、あなたの問題は解決しない。」
私の状況を見て、あんまりだと直談判してくれた何人ものスタッフには「あの子は変わろうと頑張っているところだから、そっとしっておいて」と、けん制するような発言もみられたそうです。

ついに・・・病院を退職!

体調不良の相談から6か月で、やっと休職することが出来ました。かかりつけ医に相談し紹介状を出してもらい、心療内科を受診し休職の診断書を提出しました。そこから3か月休職をして、私はその病院を退職しました。

退職するのは早計だったのでは、おいう意見もありましたが、休職中の面談ですら恐怖だったあの病院に、私はまだ恐怖心と嫌悪感がぬぐえません。
恨んではいませんが、飲み込むことが出来ずにいます。

その一件があってから、適応障害が再発し、現在勤務している病院も休職している状況です。あの一件がなかったら、私はもう少し看護師を楽しむことができただろうと思うと残念でなりません。